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岐阜地方裁判所 昭和57年(ワ)25号 判決

原告 倉田純生

右訴訟代理人弁護士 平野博史

被告 国

右代表者法務大臣 島崎均

右指定代理人 岡崎眞喜次

〈ほか三名〉

被告 岐阜県

右代表者知事 上松陽助

右訴訟代理人弁護士 土川修三

同 南谷幸久

同 南谷信子

主文

一  被告岐阜県は、原告に対し、金九〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二三日以降支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告の被告国に対するすべての請求及び被告岐阜県に対するその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告岐阜県の、その一を原告の、各負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告両名は、原告に対し、金八〇〇万円及びこれに対する昭和五七年一月二三日以降支払いずみに至るまで年五分の割合による金員を連帯して支払え。

2  訴訟費用は被告両名の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

A  (被告国)

1 原告の被告国に対する請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

3 仮に、原告の被告国に対する請求の全部又は一部が認容され、かつ、これに仮執行の宣言が付される場合には、担保を条件とする仮執行免脱の宣言

B  (被告岐阜県)

1 原告の被告岐阜県に対する請求を棄却する。

2 訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告に対する業務上過失傷害被疑・被告事件について原告無罪の判決が確定するに至るまでの外形的経緯

(一) 別紙「公訴事実」欄記載の日時・場所において、南北に通ずる道路(以下、「本件道路」ともいう。)を北進中であった原告運転の普通乗用自動車(以下、「原告車」という。)と、同道路を南進中であった訴外栗田和俊(以下、「栗田」という。)運転の軽四輪貨物自動車(以下、「栗田車」という。)とが衝突(以下、「本件衝突」という。)し、その結果、原告が全治までに約一週間を要する左膝部挫傷等の傷害を、また、栗田が加療約一〇日間を要する右前額部挫裂創等の傷害を、それぞれ負うという交通事故(以下、この交通事故を「本件事故」という。)が発生した。

(二) しかして、本件事故発生のころいずれも岐阜県海津警察署南濃警部補派出所に司法警察員として勤務していた訴外早川明雄警部補(以下、「早川警部補」という。)と訴外太和田巖巡査部長(以下、「太和田巡査部長」という。)の両名及びそのころ大垣区検察庁に検察事務官として勤務していた訴外丹羽久徳(以下、「丹羽検察事務官」という。)は、それぞれ、その職務の執行として本件事故の捜査に当たった。

(三) そして、右大垣区検察庁に検察官検事として勤務していた訴外渡辺治朗(以下、「渡辺検事」という。)は、右捜査の結果収集された証拠に依拠して、昭和五四年一二月三日、大垣簡易裁判所に対し、別紙「公訴事実」欄記載の公訴事実について原告を被告人として公訴(以下、「本件公訴」という。)を提起した。

(四) 右被告事件は右大垣簡易裁判所昭和五四年(ろ)第四二号事件として同裁判所に係属したが、渡辺検事においては、同裁判所が昭和五六年一〇月二二日に右被告事件につき原告無罪の判決(なお、この判決は、検察官からの控訴がなかったため、同年一一月五日の経過をもって確定した。)を言い渡すまで、本件公訴を維持・追行した。

(なお、以下においては、原告を被疑者又は被告人とする本件事故にかかる業務上過失傷害被疑・被告事件のことを「本件刑事事件」ともいう。)

2  本件刑事事件捜査の違法性

およそ、犯罪の捜査を担当する司法警察員及び検察官(検察庁法二七条三項に基づいて捜査を行う検察事務官を含む。)がすべからく当該事件の証拠資料を的確・適正に収集して事案の真相を究明すべき職務上の義務を負うことはもちろんである。しかるに、本件刑事事件の捜査を担当した早川警部補、太和田巡査部長及び丹羽検察事務官の三名はいずれも右義務に背き、なんらの合理的・客観的な根拠もないのに本件事故発生の経緯・状況・態様等について、「原告は、本件事故発生の直前ころ、原告車を運転して、南北に通ずる本件道路(幅員約五メートル)を北進していたが、その際、自車の一部を道路中央よりも右方(東方)にはみ出させながら相当の高速で走行していた。そのとき、道路中央よりも東方の対向車線上を南進接近してくる栗田車を発見したので、同車との衝突等の危険を感じて急ブレーキをかけたところ、自車はその後部を進行方向の右方に振りながらスリップした。その結果、道路中央よりも東方の栗田車進路内において、原告車の後部と栗田車の前部とが衝突した。」旨の想定・速断をした。そして、右想定内容と符合するような証拠をねつ造するために、本件事故現場の客観的状況とは明らかに相違するような内容虚偽の実況見分調書添付現場見取図を作成したばかりでなく、あまつさえ、同添付写真に改ざんを加えた。そのうえ、原告に対しては、このようにしてねつ造された内容虚偽の実況見分調書の記載内容に符合する趣旨の虚偽供述を強要するというがごとき違法捜査を行った。

以下、これらの点について若干の敷衍・説明を加えることとする。

(一) 本件刑事事件の捜査開始当時、事故現場付近には本件事故の真相解明のために決定的かつ不可欠ともいうべき次のような客観的証拠資料が存在していた。すなわち、

(1) 栗田車は、本件衝突の故に、その前部フェンダーが同車の右前輪に喰い込んで、右前輪の回転が不可能となった。このため、栗田車は、衝突すると同時に原告車によって後方に押し戻された。その際にできた栗田車右前輪の軌跡(以下、「栗田車タイヤ痕」という。)が本件道路の路面に南西から北東の方向に向かって約一メートルにわたって刻されていた。しかして、右のような栗田車タイヤ痕の始点が本件衝突時点における同車右前輪の位置であり、他方、栗田車タイヤ痕の終点が同車の停止時点における同車右前輪の位置である、と判断するのが合理的であるところ、栗田車タイヤ痕の始点は道路中央よりも西方の原告車進路内に位置していた。

(2) また、栗田は、本件衝突によって自己の運転車両(栗田車)が停止した直後にその運転席側の窓から顔を外部に出した。そのとき栗田の前額部から血液がしたたり落ちていたため、これが同車のドアを伝わって路上に落下した。しかして、この路上に落下した血痕(以下、「血痕」という。)が栗田車の停止時における右前部ドアの位置であると判断するのが合理的であるところ、その位置は、前記栗田車タイヤ痕の終点付近とほぼ一致していた。

(3) 他方、原告車の走行軌跡を示すものとして、本件衝突地点付近の南方にある橋梁よりも若干北方寄りの付近から本件衝突地点付近まで北方に向かい、かつ、左方(西方)に湾曲する形状でスリップ痕(以下、「原告車スリップ痕」という。)が残されていた。

右(1)ないし(3)の各事実に、原告車と栗田車の各停止位置、両車の停止時における車首の方向、両車の損傷の態様等を総合すると、本件事故の態様が別紙「本件事故の真相」欄記載のとおりであることを容易に確定できる筋合であった。

(二) しかるに、本件事故発生の日(昭和五三年一一月二三日)に本件事故現場付近の実況見分(以下、この実況見分を、「第一次実況見分」という。)を行った太和田巡査部長は、本件衝突地点を確定するのに決定的かつ不可欠ともいうべき客観的証拠資料である前記栗田車タイヤ痕や血痕について全く注意を払わず、右実況見分の際にこれらのことを看過しそのことを実況見分調書に記載しなかったばかりでなく、早川警部補と相談の結果、なんらの合理的根拠もないのに、本件事故発生の経緯・状況・態様等について右2の冒頭記載のような想定・速断をあえてした。そして、このような想定のもとに、あたかも原告車がすでに本件事故現場よりも相当手前(南方)の前記橋梁上からスリップを始めたかのようにそのスリップ痕を実際より長く作図するなどして右想定に沿う趣旨の実況見分調書を作成した。

(三) 早川警部補もまた、右実況見分調書が本件事故現場の客観的状況を正確に表現したものでなく、かえってこれを歪曲した内容虚偽のものであることを十分に知悉していた。しかるに、同警部補は、翌二四日、前記海津警察署南濃警部補派出所において原告を取り調べるに当たって、原告の弁明を強圧的に抑えつけ、あたかも原告が本件事故発生の態様等について捜査官の前記想定内容に符合する趣旨の供述をしたかのごとき供述調書を作成したうえ、原告に対して右調書に署名・押印することを強要した。

(四) ついで、同五四年二月二六日には丹羽検察事務官が大垣区検察庁において原告を取り調べたが、その際、同検察事務官は、事故の真相が前記のような捜査官の想定内容とは異なる旨を極力主張する原告の供述を黙殺し、原告に前記実況見分調書を示すなどして、あたかも原告が本件事故発生の態様等について捜査官の前記想定内容に符合する趣旨の供述をしたかのような供述調書を作成したうえ、原告に対して右調書に署名・押印することを強要した。

(五) しかして、昭和五四年三月一九日、原告をはじめ、原告の父である訴外倉田純二及び原告から本件刑事事件の弁護を依頼された訴外弁護士平野博史の合計三名が、揃って同区検察庁を訪ね、丹羽検察事務官に対して、本件事故現場付近に栗田車タイヤ痕や血痕のあったことなどを指摘し、前記実況見分調書が不正確きわまりないものであることを強調して、本件捜査に関する捜査当局の姿勢等を批判した。ところが、丹羽検察事務官は、このような批判を受けて従来の本件捜査の姿勢を謙虚に反省するどころか、かえって、本件事故発生の態様等についてこれが捜査官の前示想定内容と完全に符合するかのようにしなすために右実況見分調書に改ざんを加えることを早川警部補と太和田巡査部長に対して指示するという暴挙にいでた。そして、右警察官両名は、この指示に従い、前記三月一九日から同年四月一五日までの間に、右実況見分調書添付現場見取図及び同添付写真に改ざんを加えた。このような改ざん部分のうち、本件事故の真相解明に重要な意味をもつものとして、少なくとも左記(1)及び(2)の二点を指摘すべきであろう。

(1) まず、捜査官の想定した本件衝突地点(それが右実況見分調書添付現場見取図上の道路中央よりも東方の栗田車進路内に位置することはもちろんである。)からあたかもほぼ真北の方向に向かって約一メートルにわたって「栗田車タイヤ痕」が存在したかのような、また、停止した栗田車の前部右側ドア付近に「血痕」が存在したかのような記入を加えた。

(2) ついで、右現場見取図の「衝突地点」及び「栗田車タイヤ痕」の記載と同添付の写真とを整合させることを意図して、同添付の写真についても、あたかも、道路中央よりも東方の栗田車進路内において「栗田車タイヤ痕」の起点や「血痕」を写し出したかのような改ざんを加えた。

そして、このような改ざんの結果作出された実況見分調書があたかも第一次実況見分の結果を正確に記載したものであるかのような外観を呈し、しかも、これが本件公訴の提起・追行を担当する検察官の依拠すべききわめて重要な証拠としての意味をもつに至ったことはいうまでもない。

(以下、本件公訴の提起・追行の際に存在した昭和五四年一一月二三日付実況見分調書のことを便宜「第一次実況見分調書」という。)

3  本件公訴の提起・追行の違法性

公訴の提起及びその維持・追行に当たる検察官には、公訴の提起及びその維持・追行の各段階を通じてすでに収集されたすべての証拠を慎重かつ仔細に検討し、これらの証拠を総合して合理的に判断するときは、公訴事実記載にかかる被告人の犯罪の嫌疑を優に認めることができ、しかも、該公訴事実につき有罪判決を得ることのできる見込みのある場合に、はじめて、公訴を提起し、かつこれを維持・追行すべき職務上の義務があることはいうまでもない。

(一) しかるに、渡辺検事は、右義務に違反し、本件公訴の提起とその維持・追行のために必須不可欠な証拠資料ともいうべき第一次実況見分調書(これに添付された現場見取図及び写真を含む。)が前記のごとき改ざん・ねつ造の所産であること、しかも、右の第一次実況見分調書の内容に沿う趣旨に帰着する原告の捜査官に対する前記各供述調書がひっきょう早川警部補や丹羽検察事務官の原告に対する強要・誘導によって作成されたものであることの二点を知悉していたのにもかかわらず(ちなみに、前示のごとき実況見分調書の改ざん・ねつ造が本件刑事事件のいわゆる送検((なお、送検の時期は昭和五四年二月上旬である。))後に行われていることは前記のとおりであるから、渡辺検事が右のような事実を本件公訴の提起当時すでに知悉していたであろうことはこれを十分に確認できる。)、このような改ざん・ねつ造にかかる虚構の証拠に依拠して別紙「公訴事実」欄記載の公訴事実について原告を被告人として公訴を提起し、しかも、これを維持・追行した。

(二) 仮に、渡辺検事が本件公訴提起の時点ではいまだ前記(一)のごとき証拠の改ざん・ねつ造に関する具体的な事実を知らなかったとしても、同検事において、右の公訴提起時までに収集されたすべての証拠を検討すれば関係各証拠相互の間に右のような改ざんの結果生じたもろもろの矛盾や喰違い(例えば、第一次実況見分添付現場見取図に記載されている「栗田車タイヤ痕」と「血痕」との間の相互の位置関係と同添付写真5に写し出されている両者の相互の位置関係とが相違していることは明らかである。)の存在することを容易に発見し得たはずであったと考えられるから、同検事がさらに一歩をすすめて、そのような矛盾や喰い違いの生じた事由等についてまで検討を加えておれば、第一次実況見分調書にその信ぴょう性を是認しがたいことを容易に看取できる筋合であった。したがって、本件においては、公訴提起時までに収集された証拠によって別紙「公訴事実」欄記載の訴因を合理的な疑いを容れない程度にまで立証することがとうてい不可能であることは明らかであったというほかはない。そうとすると、渡辺検事において、もしも、警察官として尽くすべき十分な注意を傾注して本件公訴提起の是非を検討していたとするならば、同検事は上記の事実を認識することができた筋合であったろうし、したがって、また同検事としては本件公訴の提起を断念すべきであったものというべきであろう。それにもかかわらず、渡辺検事は、証拠の検討を怠った過失によって、第一次実況見分調書が不正確きわまりないものであって、これに信ぴょう性を認めがたいものであることを看過し、慢然と右調書に依拠して本件公訴を提起した。かてて加えて、同検事は、本件公訴の提起以後、その公判裁判所である大垣簡易裁判所で本件刑事事件の審理が進展するに従って、第一次実況見分調書は早川警部補と太和田巡査部長らによる改ざんやねつ造の所産であってこれに信ぴょう性を認めがたいことが疑いを容れる余地のないほど明白になったのにもかかわらず、同裁判所に証人として出廷した右の警察官両名に対して強引な誘導尋問を行い、右の警察官両名をして前記改ざんの事実を否定する趣旨の証言をさせようとするなどして、本件公訴を維持・追行することに固執した。

4  損害及び因果関係

原告は、右2及び3に記載したような早川警部補・太和田巡査部長・丹羽検察事務官及び渡辺検事による違法な職務執行行為の故に、次のような損害を被った。

(一) 慰藉料      金七五〇万円

前記公務員四名による右のごとき違法な職務執行行為の結果、

(1) 原告は、本件事故の発生から、前記無罪判決が確定するまでの間、ほぼ三年間もの長きにわたって本件刑事事件の被疑者・被告人たる地位におかれた。

(2) 原告は、昭和五四年三月七日、前記のようにして改ざん・ねつ造された実況見分調書に基づき、岐阜県公安委員会から、右同日から同年七月四日に至るまでの一二〇日間、その運転免許を停止する旨の処分を受けた。

(3) さらに、右(1)に記載したように原告が長期間にわたって被疑者・被告人たる地位におかれたことによって被った生活上・事実上の被害もまたきわめて重大であった。すなわち、原告は、昭和五六年三月にそれまで在学していた私立名城大学を卒業した。ところで、右卒業以前の数か月間は、そのころ本件刑事事件が大垣簡易裁判所に係属中であったことによって、就職準備のための諸活動に多大の支障をきたしたことはもとより、右卒業後ようやく企業に就職したものの、本件刑事事件の公判期日に出頭するためにしばしば欠勤することを余儀なくされるような有様であった。

以上(1)ないし(3)のような諸事情を総合考量すると、前記公務員による右のごとき違法な職務執行行為の故に原告が被った精神的苦痛を慰藉するために、原告に対して少なくとも金七五〇万円の慰藉料が支払われるべきことは明らかである。

(二) 弁護料及び謝金   金五〇万円

原告は、さきに、本件刑事事件において、本件事故の真相を明らかにして無罪判決を得るために、その弁護を前記の弁護士平野博史に依頼し、同弁護士に対して右弁護料(謝金を含む。)として金五〇万円をすでに支払いずみである。しかして、右のような刑事事件の弁護料金五〇万円もまた、前記公務員らの違法な職務行為と相当因果関係のある原告の損害と評価すべきである。

5  よって、原告は、被告両名に対し、国家賠償法一条一項に基づき、右4の(一)及び(二)の各金員の合計額である金八〇〇万円及びこれに対する本件訴状副本が被告らにそれぞれ送達された日の翌日である昭和五七年一月二三日から右各支払いずみに至るまで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の連帯支払方を求める。

二  被告国の請求原因に対する認否並びに主張

1  請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は、いずれもこれを認める。

2  同2の冒頭の主張ないしは事実のうち、犯罪の捜査に当たる検察官(検察庁法二七条三項に基づいて捜査を行う検察事務官を含む。)が原告主張のような職務上の義務を負うとの点は、これを認めるが、丹羽検察事務官が、本件捜査に関して右義務に違反するような行為をしたとの点は、これを全面的に否認する。

(一) 同(一)の(1)の事実中、本件事故現場付近に原告主張のような理由によって生じた栗田車タイヤ痕が存在したとの点は、これを認めるが、その余の諸点は、栗田車タイヤ痕の具体的位置の点を含めて、これを否認する。

ちなみに、栗田車タイヤ痕の起点は道路中央よりも東方の栗田車進路内に存在した。

同(一)の(2)の事実は、これを認める。

同(一)の(3)の事実中、原告車進路上に原告車の走行軌跡を示す原告車スリップ痕が存在したとの点は、これを認めるが、その余の諸点は、原告車スリップ痕の具体的位置の点を含めてすべてこれを否認する。

ちなみに、原告車スリップ痕は本件事故現場よりも南方に存在する橋梁上にその中央よりも東方にはみだしながら北方に向かって直線的に伸びているのに加えて、後輪のスリップ痕が原告車進行方向の左方に向かって鋭く湾曲していた。しかして、このスリップ痕の形状は、(1)原告車が右橋梁上を道路中央より東方の栗田車進路内を相当の高速度で進行していたこと、(2)このため、原告が栗田車を発見して急ブレーキをかけたところ、原告車はそのまま栗田車進路内にはみだしながら、直線的にスリップしたこと、(3)その際原告車がその後部に外力を受けたために、後輪が進行方向の左方に転回したこと、以上の諸点を示すものであった。

(二) 同(二)の事実中、太和田巡査部長が、本件事故当日実況見分を実施し、その結果を調書に記載したことは、これを認めるが、その余の諸点は、すべてこれを否認する。

(三) 同(三)の事実中、早川警部補が本件事故の翌日(一一月二四日)に前記海津警察署南濃警部補派出所で原告を被疑者として取り調べてその供述を録取し、原告が該供述調書に署名・押印したことは、これを認めるが、その余の諸点は、すべてこれを否認する。

(四) 同(四)の事実中、丹羽検察事務官が昭和五四年二月二六日に、大垣区検察庁で原告を被疑者として取り調べてその供述を録取し、原告が該供述調書に署名・押印したことは、これを認めるが、その余の諸点は、すべてこれを否認する。

(五) 同(五)の事実中、原告の父倉田純二が、前記実況見分調書の記載に疑義があるなどと主張したことは、これを認めるが、その余の事実は、冒頭並びに(1)及び(2)の諸点を含めてすべてこれを否認する。

3  同3の冒頭の法律的主張自体は、これを争わないが、同(一)及び(二)の各事実は、すべてこれを否認する。

およそ、刑事事件においては、被告人の無罪が確定したというだけで直ちに当該事件における公訴の提起・追行自体が違法であるという評価を受けるべき筋合のものでないことはもちろんである。公訴の提起は、訴因を明示して記載した公訴事実(犯罪)の成否とこれに基づく刑罰権の存否についての司法裁判所の審判を求めるための検察官の意思表示にほかならないから、起訴時あるいは公訴追行のすべての段階における検察官の心証は、その性質上、判決時における裁判官の心証とは異なり、右の各段階において適法に存在する各種証拠に基づき検察官が合理的自主的に判断して有罪と認め得るだけの嫌疑があれば足りるものと解される。したがって、各種捜査活動によって収集された証拠によっては当該訴因を立証することが不可能であり、当該訴因について有罪判決が得られるという可能性が乏しいのに、検察官があえて当該訴因を明示して特定の公訴事実について公訴を提起し、これを維持・追行したような場合に限り、その公訴の提起・追行は、該検察官による違法な職務執行行為に当たるという評価を受けることとなるであろう。

しかして、本件刑事事件に現れたすべての証拠に徴すると、渡辺検事が本件について公訴を提起し、かつこれを維持・追行したことはもとより適法かつ合理的であって、同検事のした本件公訴の提起及びその維持・追行には毫も違法な点がなく、いわんや、同検事による該公務の執行について同検事にはなんらの過失もなかったものというほかはない。以下、本件事故の発生について原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失があったことを認定できるとした渡辺検事の判断が合理的であったことの所以を若干敷衍して説明する。

(一) 本件事故現場の客観的状況を示す第一次実況見分調書(これに添付された現場見取図は、本判決書末尾添付にかかる交通事故現場見取図と同一である。)が本件公訴の提起当時すでに存在していたことはもちろんであるところ(なお、同調書は、公判廷においても証拠として取り調べられた。)、同調書添付の現場見取図の記載中には些細な点において不正確な部分のあることは否定し得ないものの、同調書の記載内容は、主要な点において十分整合性のある合理的なものであった。そして、本件事故発生の態様等を第一次実況見分調書に依拠して判断すれば、該事故の発生について原告に別紙「公訴事実」欄記載の過失があったことを優に肯認し得た。すなわち、

(1) 右現場見取図には、道路中央よりも東方の栗田車進路内の地点を起点として栗田車タイヤ痕が存在していた旨の記載があるのに加えて、右記載に対応する栗田車タイヤ痕が第一次実況見分調書添付の写真5にも明瞭に写し出されていた。したがって、道路中央よりも東方の栗田車進路内の地点を起点として栗田車タイヤ痕が存在したことは、証拠上疑いを容れる余地のないものであった。そして、栗田車タイヤ痕が路面に残された原因から判断すれば、その起点が本件衝突地点とほぼ一致することは原告の主張するとおりである。そうとすれば、栗田車タイヤ痕の起点、すなわち、道路中央よりも東方の栗田車進路内において本件衝突があったことを示す右現場見取図の「衝突地点」の記載は、きわめて合理的で首肯するに足りるものであった。

(2) また、右現場見取図には、原告車進路上に、すでに請求原因2の(一)の(3)の事実に対する認否に関連して被告国の主張したような形状の原告車スリップ痕が存在した旨の記載があり、右記載に対応する原告車スリップ痕が、第一次実況見分調書添付写真3ないし6にも写し出されていた。右原告車スリップ痕は、①原告車が本件事故現場に向かい道路中央よりも東方の栗田車進路内を相当高速度で進行していたこと、②このため、原告においては本件事故現場南方に存する橋梁の中ほどで栗田車を発見し急ブレーキをかけたものの間に合わず、原告車は栗田車進路内にはみ出したまま直線的にスリップしたこと、③そして、その後部に外力の作用を受け、後輪が進行方向左方に向きを転じたこと、以上の三点を示していた。したがって、原告車スリップ痕の形状から判断すれば、本件衝突地点は、その後輪スリップ痕が進行方向左方へ湾曲を開始した地点にほかならないものと推認するのが合理的であった。しかして、右現場見取図によれば、原告車後輪のスリップ痕が進行方向左方へ湾曲を開始する地点と、前記栗田車タイヤ痕の起点とはほぼ一致しているのである。そうとすれば、栗田車タイヤ痕の起点が本件衝突地点であるとする右見取図の記載は、原告車スリップ痕の記載とも整合するものであることが明らかであった。

(二) このように、第一次実況見分調書から明認し得る本件事故現場の客観的状況が本件事故の発生について原告に別紙「公訴事実」欄記載の過失のあったことを肯認させるに足りるものであったばかりでなく、原告自身も、①本件事故当日、第一次実況見分に立ち会って指示説明をした際、②翌一一月二四日、早川警部補から取調べを受けた際、③昭和五四年二月二六日、丹羽検察事務官から取調べを受けた際、いずれも、本件事故の発生については原告の側に別紙「公訴事実」欄記載のような過失のあったことを認めていた。他方、本件事故の相手方である栗田は、終始、捜査官に対して、「原告車が道路中央よりも東方の栗田車進路内を高速で進行してきたため、本件事故が発生した。」旨の供述をしていた。したがって、原告が昭和五四年三月一九日に至って、突然、それ以前の供述を翻すという態度にでる(このことについては、後記(三)を参照のこと。)までは本件事故の態様に関する両当事者の供述に喰違いはなかったのである。

(三) ところが、昭和五四年三月一九日に至り、原告は突然従来の供述を翻し、その父純二らと共に第一次実況見分調書の記載内容には重大な疑義がある旨の主張を始めた。これに対し、渡辺検事は、捜査の慎重を期するために、丹羽検察事務官に対して、①再度実況見分を行い、原告の指示説明を十分に聴取すること、②第一次実況見分調書の正確性を慎重に点検・確認すること、の二点を指示した。その結果、①まず、同年三月三〇日、司法警察員による二回目の実況見分(以下、この実況見分を「第二次実況見分」という。)が実施されたが、このとき原告が司法警察員に対してした指示説明の内容は、これを第一次実況見分調書から明認される本件事故現場の客観的状況と対比すると、不自然きわまりない不合理なものであって、とうてい措信するを得ないものであった。②他方、第一次実況見分調書の正確性を点検・確認するために、その実施に当たった司法警察員を取り調べたところ、これら司法警察員から、(ア)右調書は見分の結果を正確に記載したものであること、(イ)第一次実況見分の際における原告の指示説明が、捜査官からの誘導や強制によったものではなく、全く原告の任意にいでたものであることなど、第一次実況見分調書の信ぴょう性を肯定する趣旨の供述が得られた。

以上(一)ないし(三)に記載したような証拠関係に鑑みると、渡辺検事の以下の判断、すなわち、本件事故の発生について原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失のあったことを立証することは十分に可能であって、捜査途中から右過失を否認するに至った原告の供述(ちなみに、原告の右のような過失を否認する趣旨の供述については、原告の協力が得られなかったために、調書の作成には至っていない。)が、不自然・不合理なものであるとした判断には不当な点は毫もなく、右のような判断に基づいて本件公訴を提起・追行した同検事の措置にはなんらの責むべき点もないものというほかはない。

4  同4の(一)及び(二)の主張は、すべてこれを争う。

三  被告岐阜県の請求原因に対する認否並びに主張

1  請求原因1の(一)ないし(四)の事実は、いずれもこれを認める。

2  同2の冒頭記載の法的主張には異存がないが、その事実自体は、すべてこれを否認する。同2の(一)の(1)ないし(3)、(二)、(三)並びに(五)の冒頭と(1)及び(2)の各事実は、いずれもこれを否認する。

3  同4の事実は、これを否認し、その法的主張は、これを争う。

原告は、本訴において、被告岐阜県(以下、「被告県」という。)に対し、自己が本件事故に関して被疑者又は被告人としての地位におかれたことによって被った精神的苦痛を慰藉するに足りる相当の金員の支払方を求めている。しかしながら、仮に、被告県の公務員たる早川警部補や太和田巡査部長の捜査活動になんらかの違法の点があったとしても、右違法な捜査活動と原告が主張する右損害との間に因果関係のないことは明らかである。なぜならば、

(一) そもそも、本件事故が発生し、その結果栗田が負傷したことは、紛れもない事実である。被告県は、右結果の発生につき、原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失のあったことを認めるに足りる十分な証拠があると信ずるが、仮にそうではないとしても、右結果の発生につき、原告が無過失であったなどとはとうてい解し得ないところである。すなわち、本件衝突が道路中央よりも東方の栗田車進路内で起こったことの認定が困難であるとしても、少なくとも、本件事故の発生直前原告が制限速度遵守義務違反・安全運転義務違反等の道路交通法違反の行為にいでていたことは明白である。そして、右違反行為は、本件事故の発生と因果関係のある過失を構成するものと考えられるから、本件事故に関して原告を被疑者又は被告人として業務上過失傷害事件の立件がなされかつ公訴の提起がなされるべきは当然であって、そのことの故に原告の側に違法な被害の生ずる理由はない。

(二) しかも、公訴の提起をするか否かは、もっぱらこれを担当する検察官の判断に委ねられており、司法警察員が右判断についてなんらの権限も有しないことはあまりにも明らかである。そうとすれば、本件事故に関して、原告が公訴を提起されたことと、その捜査を担当した早川警部補や太和田巡査部長の職務執行行為―その職務執行行為の適否にかかわらず―との間には、法的因果関係はないものというほかはない。

第三証拠《省略》

理由

一  請求原因1の(一)ないし(四)の各事実は、いずれも当事者間に争いのないところである。

二  捜査官による本件刑事事件捜査の違法性の有無について

そこで、以下においては、請求原因2の諸点について検討することとする。

およそ犯罪の捜査に当たる司法警察員及び検察事務官(検察庁法二七条三項に基づいて検察官の指揮を受けて捜査を行う国家公務員)が、当該刑事事件に関する証拠資料を適正に収集し、事案の真相究明に努むべき職務上の義務を負うことは明らかである。ところで、本件刑事事件において、それぞれ自己の職務の執行としてその捜査を担当した早川警部補、太和田巡査部長及び丹羽検察事務官の各職務執行行為にはたして右のような義務違反のかどがあったであろうか。この点について、請求原因2の(一)ないし(五)の主張内容と対照しながら、順次考察することとする。

1  第一次実況見分調書作成に関連する違法行為の有無について

(一)  第一次実況見分の経過・実施状況などについて

《証拠省略》を総合すると、本件事故当日である昭和五三年一一月二三日に本件事故現場において行われた第一次実況見分の実施状況等が以下のようなものであったことを認めるに十分である。

(1) 太和田巡査部長は、岐阜県警察海津警察署南濃警部補派出所で執務していた際、海津警察署(本署)からの連絡によって本件事故の発生を知り、その直後の午後七時三〇分ころ本件事故現場に到着した。そのときには、原告と栗田は、すでに事故現場を離れて救急車で養老中央病院に向かっており、本件事故現場には、原告車と栗田車とが本件事故後の停止状態のまま放置されていた。そこで、同巡査部長は、すでに本件事故現場に臨場していた林・河合両巡査の補助を得て、原告車と栗田車との各停止状態を写真に撮影したり、各停止位置の路面にチョークで印をつけるなどして、右両車両の各停止位置とその状態とを見分した。そして、この作業を終えると、直ちに原告車と栗田車とを本件事故現場近くの空地に移動させた。

(2) 右(1)の作業を終えた時点で、太和田巡査部長は、本件事故現場の状況から想定される事故の態様等に鑑み、本件事故現場の実況見分を自分が主宰して続行することは適当ではなく、その上司である早川警部補の指示を得る必要があると判断した。そこで、同巡査部長は、この段階で、実況見分の実施を中断して、早川警部補(同警部補は、この日は休日のため勤務についていなかった。)の自宅へ急行し、同警部補に対して本件事故現場の実況見分について指揮してもらいたい旨の依頼をした。

(3) 右依頼に応じた早川警部補が本件事故現場に到着して、すぐに実況見分は再開された。まず、早川警部補と太和田巡査部長とは、原告車進路上に残されていた原告車スリップ痕(なお、原告車進路上に原告車スリップ痕の存在したことは、原告と被告国との間において争いがない。)をパトロールカーの前照燈で照らし出して、これを林巡査に写真撮影させた。ついで、早川警部補と太和田巡査部長とは、時刻がすでに午後八時を過ぎており、しかも照明も不十分であったことなどのために、原告車スリップ痕がそのままでは写真に十分に写し出されない場合のあることを危惧し、そのような場合に備えて、太和田巡査部長が原告車スリップ痕の上をチョークで線引きし、林巡査をして再度その線引きの結果を撮影させた。

(4) このようにして本件事故現場における実況見分を実施した早川警部補らは、該見分の実施中に、本件衝突地点が、道路中央よりも東方の栗田車進路内にある旨の推定をした。ちなみに、早川警部補らが本件衝突地点について右のような推定をした際、同警部補や太和田巡査部長が栗田車タイヤ痕の位置・方向等について特段の顧慮をしたというような形跡のないことは、後記(7)において説示するとおりである。

(5) 太和田巡査部長は、本件事故現場において、右のようにして実況見分を実施しながら、併せて、その見分結果を現場見取図(原図)に記入するという作業をすすめた。

(6) 午後九時ころになって、養老中央病院での治療を終えた原告と栗田の両名が本件事故現場に戻ってきた。早川警部補は、右両名に対し、本件事故の発生状況等についてそれぞれ指示説明をするよう求めたが、衝突地点についてはすでに早川警部補や太和田巡査部長が前記(4)のようにして推定していたそれを原告と栗田の両名に確認させるというにとどまるものであった。ちなみに、このとき、原告は早川警部補らがすでに推定していた「衝突地点」についてなんらの異議も唱えなかった。

(7) ところで、本件事故現場の栗田車進路上には栗田車タイヤ痕(ちなみに、栗田車は、本件衝突の故に同車の前部フェンダーが、その右前輪に喰い込み、同前輪の回転が不能となったため、本件衝突の直後、原告車によって押し戻されるようにして後退した。栗田車タイヤ痕はこの後退の際における同車右前輪の軌跡である。)が残されており、また、栗田車の停止時における右前部ドアの位置に対応する路面付近には血痕が存在した(なお、以上の事実は、原告と被告国との間においては争いがない。)。ところが、太和田巡査部長は、これらのことを看過したまま、現場見取図(原図)を作成した。早川警部補は、このような現場見取図(原図)を点検して、栗田車タイヤ痕についての記載がないことに気付き、その記入方を太和田巡査部長に指示した。そこで、同巡査部長は、右現場見取図(原図)に栗田車タイヤ痕の存在を記入したが、右記入に際して、その長さ、位置等をメジャーによって計測せず、ただこれを目測したにすぎなかった。そして、右血痕については、最後までこれを看過したまま第一次実況見分を終了した。

(8) 後日、太和田巡査部長は、右現場見取図(原図)に基づいて実況見分調書に添付すべき現場見取図を作成したが、その際、第一次実況見分の際に撮影した写真に栗田の血痕が写し出されていることに初めて気付き、この血痕の存在位置等を写真から推測して現場見取図に記入して第一次実況見分調書添付の現場見取図を完成させた(なお、このようにして完成した第一次実況見分調書添付の現場見取図は、本判決書末尾添付の交通事故現場見取図とその内容が同一である。)。

以上(1)ないし(8)の各事実が認められる。《証拠判断省略》

第一次実況見分の実施状況等は上記認定のとおりであるが、それでは、その結果が正確に記載されたはずの太和田巡査部長作成にかかる第一次実況見分調書、なかんずく、これに添付されている現場見取図と写真とは、はたして十分な信ぴょう性と正確性を備えているものであろうか。以下においては、この点についての検討をすすめよう。

(二)  「栗田車タイヤ痕」に関する記載と写真について

まず最初に、第一次実況見分調書添付の現場見取図中の「栗田車タイヤ痕」に関する記載及び栗田車タイヤ痕を写し出した旨の説明の付されている同調書添付の写真5の正確性と信ぴょう性の点について検討すると、そもそも第一次実況見分の際に栗田車タイヤ痕の位置・方向等についての正確な計測が行われなかったことは前指摘(前記(一)の(7)の説示参照)のとおりであるところ、第一次実況見分調書添付の現場見取図には、「栗田車タイヤ痕」のことがその位置及び方向の点に至るまで一応詳細に記載されてはいる。しかし、該記載は、結論的に言って、客観的に実在した「栗田車タイヤ痕」の位置・方向とそごする疑いが相当高く、また、とくに同調書添付の写真5については、右実況見分の際に撮影された写真に後刻変造・改ざんが加えられ、右写真のなかにあたかも「栗田車タイヤ痕」をチョークでなぞったかのごとくに白色の線条が写し出されているのは右改ざんの所産であると認めるほかないことは、以下に認定・説示するとおりである。

(1) 第一次実況見分調書添付の現場見取図中の「栗田車タイヤ痕」に関する記載部分を検討してみると、同現場見取図の右の点についての記載は本判決書末尾添付にかかる交通事故現場見取図の記載と同一であって、その内容は、長さ一メートルの「栗田車タイヤ痕」が同見取図に「衝突地点」として表示された地点からほぼ真北の方向に向かって存在していたというのである。しかし、《証拠省略》と対比しながら現場見取図の右のような記載内容を検討してみると、「栗田車タイヤ痕」に関する現場見取図の右記載は、以下の点で、不正確であり、その信ぴょう性に欠けるものであるという評価を免れ得ない。すなわち、

本件衝突直後における原告車と栗田車のそれぞれの停止位置については、第一次実況見分の際にこれが正確に確定され、かつその計測が行われたことはさきに(一)の(1)において認定したとおりであって、右現場見取図中の両車両の各停止位置に関する記載は、第一次実況見分調書添付の写真1、2、7、8、9、10と対比してみても、これが当時の状況と合致し、正確なものであると認められる。ところで、①栗田車タイヤ痕の終点は、前説示のごときその生成原因に徴すると、停止時における栗田車の右前輪の位置と一致すべきことが明らかである。ところが、現場見取図の記載によれば、「栗田車タイヤ痕」の終点と停止時における栗田車右前輪の位置との間には約一メートルもの距離がある、というのである。②そして、栗田車は、その前部を南西の方向に、その後部を北東の方向に向けて停止していた。このような栗田車の停止時における車体の方向に鑑みると、栗田車タイヤ痕もまた、少なくとも同車の停止位置の手前付近においては、これに沿うように南西の方向から北東の方向に向けて存在していたはずである。ところが、右見取図の記載によれば、「栗田車タイヤ痕」はほぼ真南から真北へ向かって存在していた、というのである。

このように、現場見取図の「栗田車タイヤ痕」に関する記載は、前記認定のごとき栗田車の停止時における同車右前輪の位置及び車体の方向と対比して、明らかに不自然・不合理な点を含むものというのほかはなく、しかも、このことは、ひいては、右見取図における「栗田車タイヤ痕」の起点、すなわち「衝突地点」に関する記載の信ぴょう性・正確性をも疑わせるものとならざるを得ないであろう。

(2) 次に、白色の線条が写っていて、これに「栗田車タイヤ痕」である旨の説明の付されている第一次実況見分調書添付の写真5について検討する。《証拠省略》によれば、右添付写真5には道路中央よりも東方の栗田車進路内の地点(なお、この地点は、前記現場見取図に「衝突地点」として記載されている地点と概ね一致する。)から北東の方向に向かって白色の線条が写し出されており、右白色の線条が栗田車タイヤ痕を写し出したものである旨の太和田巡査部長による説明の付記されていることが明らかである。しかし、《証拠省略》を総合すると、右白色の線条が栗田車タイヤ痕を写し出したものであるという太和田巡査部長による前記のごとき付記説明には以下のような不自然かつ不可解な点の存在することが認められる。すなわち、

①本件事故現場において、早川警部補・太和田巡査部長及び倉田純二の三名は、そのいずれもが栗田車タイヤ痕の長さが約一メートルであったことをそれぞれ現認しており、太和田巡査部長においては、右のような自己の現認内容に従って、現場見取図(原図)及びこれに基づき作成した第一次実況見分調書添付の現場見取図に、その長さを「一・〇メートル」と記載しているのである。したがって、栗田車タイヤ痕の長さが約一メートルであったことは明らかというほかはない。ところが、右写真に写し出されている白色の線条の長さを同じ写真に写し出されている側溝の蓋の長さを基準として割り出してみると、これが約二メートルにも達することが判明するのである。②しかも、右三名は、いずれも本件事故現場で現認した栗田車タイヤ痕の形状等の特徴につきこれが約一〇センチメートルの幅で路面を削ったような黒っぽいものであった旨の一致した認識をそれぞれ開陳しているにもかかわらず、右写真には、白色の線条のほか、このような色調・形状の特徴的な痕跡が全く写し出されていない。もっとも、《証拠省略》中には、第一次実況見分の際、栗田車タイヤ痕の上にチョークで印がつけられた旨の記載部分があるが、右記載部分は、前記(一)の(7)に認定した事実及び同事実認定の資料としてさきに挙示した各証拠と対比して、とうてい措信しがたく、他に太和田巡査部長らの捜査官が右実況見分の際に栗田車タイヤ痕の上にチョークで印をつけた旨の事実を肯認するに足りるような証拠はない。そうとすれば、第一次実況見分の際に写したはずの右写真に白色の線条が写し出されていること自体すでにきわめて不可解というほかはない。③さらに、停止時の栗田車右前部ドアの位置付近路上に栗田の血痕が存在したことはすでに(一)の(7)において認定したとおりであるところ、本件事故現場において倉田純二や栗田が現認したその血痕はそれ程大きいものではなかった(ことに、太和田巡査部長に至っては、当時、その存在にさえ気ずいていなかったから、その大きさの程度は容易に想像されよう。)。ところが、右写真には、白色の線条の上付近に、直径約二〇センチメートルもの大きさをもつと認められる概ね円状の血痕様の痕跡が写し出され、しかもそれが「血痕」である旨の説明まで付されているのである。

以上①ないし③に認定したように、右写真に写し出されている白色の線条が栗田車タイヤ痕を写し出したものである旨の太和田巡査部長の前示のような付記・説明には不自然かつ不可解な点が存在するということに加えて、第一次実況見分の際に撮影された写真のネガがその保存期間の経過しないうちに前記海津警察署において亡失し、その所在が不明となったという事実(なお、この事実は、《証拠省略》によって明らかである。)をも併せ考えると、右写真に写し出されている白地の線条は、栗田車タイヤ痕を写し出したものではなく、第一次実況見分の際に撮影された写真になんらかの意図的な改ざんが加えられた結果の所産であると推認するのほかはなく、《証拠省略》のうち、上記認定に牴触する趣旨の各記載部分は、上記の事実認定の資料としてすでに挙示した各証拠と対比してにわかに措信しがたく、他に上記認定を左右するに足りるような証拠はない。

(三)  「原告車スリップ痕」に関する記載について

つぎに、第一次実況見分調書添付の現場見取図中の「原告車スリップ痕」に関する記載の信ぴょう性・正確性について検討をすると、右見取図の記載内容が本判決書末尾添付にかかる交通事故現場見取図の記載と同一であることはさきに説示したとおりであって、右見取図の記載によれば、原告車スリップ痕の長さは、右前輪のそれが一三・八メートル、右後輪のそれが一四・八メートル、左前輪のそれが一五・二メートル、左後輪のそれが一六・八メートルである、というのである。そして、「原告車スリップ痕」に関する右見取図の記載によれば、まず、四輪のスリップ痕が本件事故現場のすぐ南方に存在する橋梁の中ほどを起点として同起点から道路中央よりも東方の栗田車進路内にはみ出しながら一〇メートル余も直線的に伸び、ついで、そのうちの二輪のスリップ痕がそれまでの原告車進行方向よりも左方に鋭く四~五メートルの間にわたってカーブを描き、これに続いて更に進行方向の右方に約二メートルの間にわたってカーブを描いている、というのであり、しかも、右見取図中には、このようにカーブした二本のスリップ痕についてこれが原告車後輪のスリップ痕である旨の太和田巡査部長の説明が付されている。ところで、仮に、右の見取図の記載が客観的事実に合致し、したがって、本当に原告車スリップ痕が一〇メートル余も直線的に伸びた後そのうちの二本が急にそれまでの進行方向よりも左方に鋭くカーブしていたとすれば、(ア)原告車は本件衝突直前すでにスリップ状態にあったこと、そして、(イ)そのスリップ痕のうちの二本がそれまでの進行方向の左方に鋭くカーブした地点で原告車に対して強い外力の作用があったこと、すなわち衝突があったこと、を推認するのが相当であろう。そして、しかも、右のような推認可能な事実に、原告車がその右後部に栗田車の衝突を受けているという事実(この事実は《証拠省略》により明らかである。)を併せ考えると、右のようにカーブを描いた二本のスリップ痕が原告車後輪のスリップ痕にほかならない旨の太和田巡査部長の前記説明も一応合理的な理由があるものということができるであろう。

しかしながら、《証拠省略》を総合・斟酌しながら、右現場見取図中の「原告車スリップ痕」に関する記載部分(右太和田巡査部長の説明部分を含め。)の正確性や合理性を考察・検討すると、右記載部分には以下のような疑点のあることを看過することができない。すなわち、

①《証拠省略》添付写真に写し出されている白色の線条は、前記(一)の(3)において認定・説示したように、第一次実況見分の際に原告車スリップ痕の上をチョークで線引きしてこれを撮影したものであることが明らかで、本件事故現場に存在した原告車スリップ痕の形状を客観的に示すものであると認められる(《証拠判断省略》)。しかして、右写真に写し出されている白色の線条(すなわち原告車スリップ痕)の起点付近にいわゆる道路補修箇所のあることが右写真自体に徴して明らかであるところ、この道路補修箇所が第一次実況見分調書添付の現場見取図における基点と同との二点を結んだ直線(前記橋梁と道路との境)よりも南方寄り一・八三メートルないし二・七メートルの範囲に存在することは、前掲各証拠に照らして明らかである。しかるに、右現場見取図の記載によれば、「原告車スリップ痕」の起点は、右ととを結んだ直線の位置との対比において、右前輪スリップ痕と表示されたものが七・〇メートル、左前輪スリップ痕と表示されたものが七・七メートル、右後輪スリップ痕と表示されたものが六・八メートル、左後輪スリップ痕と表示されたものが八・四メートル、それぞれ南方寄りの地点に存在する、というのである。してみると、原告車スリップ痕の起点の位置に関する前記現場見取図の記載に対しては、その正確性について重大な疑問を提起するのほかはなく、そのことは、ひいて、同見取図における原告車スリップ痕の長さ・位置に関する記載の正確性に対しても疑問を提起させるものというべきであろう。②そして、右①において説示したように、すでに原告車スリップ痕の起点ひいてはその長さ・位置に関する前記現場見取図の正確性に対して重大な疑問を投げかけざるを得ない以上、本件衝突の直前、原告車が一〇メートル余にわたってスリップ状態にあったと認めたり、更には、また、このことを前提として、原告車スリップ痕のうち、その進行方向の左方に向かって鋭くカーブしているそれが後輪のスリップ痕であると認めたりすることは、いずれもその認定の合理的根拠を失うものといわざるを得ないであろう。そうとすると、第二次実況見分の際における原告の指示・説明の内容、あるいは、本件刑事事件の公判審理における原告の供述内容、すなわち、「原告において栗田車を発見してただちに急ブレーキをかけるとともに、左へハンドルを切ったところ、原告車は、その直後に後部に栗田車の衝突を受け、右に回り込むようにして停止した。原告車スリップ痕のうち、いったんはそれまでの進行方向の左方にカーブし、ついで右方にカーブしているそれは、前示のように左へハンドルを切った後の原告車前輪の軌跡である。」旨の原告の説明ないし供述内容もまた首肯できないわけでもないであろう。

以上①及び②に説示したように、第一次実況見分調書添付の現場見取図中の「原告車スリップ痕」に関する記事はその起点・長さについての記載部分の正確性に対して重大な疑問を提起せざるを得ず、しかも、四本のスリップ痕のうちの従来の進行方向から左方にカーブしている二本が原告車後輪のスリップ痕である旨の太和田巡査部長の付加説明記載部分に対しても合理的な疑いを容れる余地が十分にあることは明らかであって、以上のような説示・判断を左右するに足りるような特段の証拠はこれを発見することができない。

(四)  ところで、交通事故に起因する業務上過失致死傷事件の捜査に当たっては、事故の発生後できるだけ速やかに実況見分を実施することによって事故現場に残された証拠資料を客観的に把握確定することが必須不可欠であって、このことが当該事故の態様や事故関係者の過失の有無等を解明するのにきわめて重要な意味合いをもつことは多言を要しない。しかるに、本件においては、前説示のように、第一次実況見分の実施内容それ自体が不十分かつ不正確なものであったばかりでなく、右実況見分を実施した前記太和田巡査部長らは、その結果を端的かつ率直に記載して第一次実況見分調書を作成すべきであったのにもかかわらず、そのような措置を講ぜず、かえって、本件事故の態様なかんずく本件事故の当事者である原告と栗田のそれぞれの過失の有無やその態様を解明するのにきわめて重大な意味をもつ「栗田車タイヤ痕」や「原告車スリップ痕」をその添付見取図に表示するに当たって故意又は過失によって正確性の欠如した記載をし、しかも同添付写真の一部に改ざんを加えたものである。

そうすると、右のような第一次実況見分を実施して、第一次実況見分調書を作成した太和田巡査部長はもちろんのこと、第一次実況見分の実施に際して同巡査部長を指揮した早川警部補にもまた右のような重大な欠陥のある実況見分調書が作成されたことについて、故意又は過失のあったことは明らかであって、これを要するに、右警察官両名は、その職務の執行に当たって、故意又は過失により、右のような重大な欠陥のある実況見分調書を作成し又はその作成に関与したものというべきである。

(五)  ところで、原告は、請求原因2の(五)において、前説示のような第一次実況見分調書の改ざん等が、丹羽検察事務官の指示によって行われた旨を主張をする。そこで、前説示のような第一次実況見分調書の改ざん等にはたして同検察事務官が関与していたか否かの点につき検討をすすめる。なるほど、《証拠省略》中には、「原告とその父である倉田純二は、昭和五四年三月一九日、大垣区検察庁へ出頭したが、その際、同検察事務官に対し、本件事故の捜査方法を批判し、その機会に示された実況見分調書の記載内容にも疑義がある旨を指摘した。そして、その後、同年四月一五日、原告と右倉田純二が再度同検察庁へ出頭した機会に第一次実況見分調書を見たところ、同調書添付の見取図には、あらたに『栗田車タイヤ痕』や『血痕』が書き加えられ、かつ、同添付写真5には、栗田車タイヤ痕であることを示す趣旨の白色の線条が写し出されているかのように改ざんが加えられるなどして第一次実況見分調書がねつ造されていた。」との趣旨に帰着する部分が存在する。しかしながら、右記載部分及び供述部分は、《証拠省略》と対比してにわかに措信しがたく、他に、丹羽検察事務官が第一次実況見分調書の改ざんを太和田巡査部長らの警察官に対して指示するなど、前説示のごとき重大な欠陥のある同調書の作成に関与していたという事実を肯認するに足りるような証拠はない。

2  捜査官による原告の供述調書作成についての違法行為の有無について

そこで、すすんで、本件公訴事実についてのいわゆる原告の自白調書である早川警部補作成にかかる昭和五三年一一月二四日付供述調書及び丹羽検察事務官作成にかかる同五四年二月二六日付供述調書に関し、その作成過程において、同警部補及び同検察事務官から原告に対して自白を強要し又は右各調書に署名・押印することを強要するなどの違法行為が加えられたか否かの点について検討する。

《証拠省略》中には、「早川警部補と丹羽検察事務官とは、それぞれ、本件交通事故について原告を被疑者として取り調べたが、その際、本件事故前における原告車の走行速度に関する原告の弁明を聞こうともしなかった。そして、その際の雰囲気は、本件公訴事実と同旨の被疑事実を原告が自白し、しかもその自白調書に署名・押印をしなければ、帰宅を許されないような雰囲気であったので已むなく、これに署名・押印をした。」という趣旨に窺われるような部分もないわけではない。しかし、右《証拠省略》を仔細に調べても、本件刑事事件の被疑者として原告を取り調べるに当たり、右の捜査官らが具体的にどのような違法行為を原告に対して加えたかの点は必ずしも明らかではないものというべく、かえって、《証拠省略》に徴すると、原告が本件交通事故に関して早川警部補及び丹羽検察事務官から被疑者としての取調べを受けた際、原告においては右各捜査官に対して本件交通事故が別紙「公訴事実」欄記載のような原告の過失によって発生するに至った旨の供述を任意にしたことの可能性が高く、これらの自白調書の作成過程において原告が早川警部補や丹羽検察事務官から強要・威迫などの違法な取調べを受けたというような可能性はきわめて低いのではないかと疑わざるを得ない。これを要するに、原告指摘の各自白調書の作成過程において捜査官らが原告に対して原告主張のごとき違法行為を加えた旨の事実は、本件の全証拠を精査してみても、結局、これを肯認するに足りるような証跡を見いだすことができない。

3  以上のとおりであるから、本件刑事事件にあっては、すでにその捜査段階においてこれを担当した捜査官が少なからざる違法行為を犯した旨を主張する請求原因2の事実については、そのうち、早川警部補及び太和田巡査部長の両警察官が、本件事故の具体的態様を解明するのにきわめて重要な証拠であることの明らかな第一次実況見分調書を作成するに当たり、その添付見取図に虚偽の記載をし、しかも同添付写真の一部に改ざんを加えるというような違法行為をした旨の点に限ってこれを認めるのに十分であるが、その余の点については、これを認めるに足りるような的確な証拠がないものというのほかはない。

三  本件公訴の提起及び追行についての違法性の有無について

そこで、さらにすすんで、請求原因3の諸点について検討してみよう。

公訴の提起は、検察官が特定の公訴事実について当該被告人の犯罪の成否と刑罰権の存否に関する審判を求めるためにする裁判所に対する意思表示にほかならないから、刑事被告事件について裁判所のした無罪判決が確定したからといって、そのことの故に直ちに公訴の提起及びその維持・追行が違法の評価を受けなければならないものでないことはいうまでもない。しかし、いやしくも検察官において公訴を提起し、かつ、これを維持・追行する以上、その任に当たる検察官としては、すべからく、すべての段階において、すでに収集されている関係証拠を十分に吟味・検討し、これらの証拠を総合的・合理的に判断して、起訴状に訴因として掲げられるべき又はすでに掲げられている犯罪構成要件該当の罪を被告人が犯した旨の嫌疑を十分に認めることができ、当該訴因について被告人の有罪判決を得られる見込みが存在する場合に限って、公訴を提起し、これを維持・追行すべき職務上の注意義務を負うものと解すべきものである。そこで、以下においては、本件公訴の提起及びその維持・追行の任に当たった渡辺検事の行為について、はたして右職務上の義務に反するような違法な点があったか否かについて、請求原因3の(一)及び(二)に記載されている事実関係等と対比しながら検討してみることとする。

1  本件公訴提起の適否について

(一)  そこでまず、本件公訴提起の適否について検討するのに、《証拠省略》を総合すると、次のような事実が認められる。すなわち、

渡辺検事は、本件公訴提起の当時本件交通事故の発生に関して原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失があったことを立証するための証拠として、(ア)第一次実況見分調書、(イ)原告の捜査官に対する供述調書二通(早川警部補作成の昭和五三年一一月二三日付のもの及び丹羽検察事務官作成の同五四年二月二六日付のもの)、(ウ)栗田の捜査官に対する供述調書三通(太和田巡査部長作成の同五三年一二月一〇日付のもの及びいずれも丹羽検察事務官作成の同五四年二月二〇日付と同年一〇月八日付のもの)を収集していた。そして、渡辺検事においては、これらの証拠に依拠して、本件交通事故の発生に関して原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失のあったことの立証は十分に可能であると判断した。ところで、渡辺検事の右判断の根拠は、概ね次のようなものであった。

(1) ①第一次実況見分調書添付の現場見取図と同添付写真5によれば、栗田車タイヤ痕は同見取図に「衝突地点」として記載されている地点(なお、この地点が、道路中央よりも東方の栗田車進路内にあることは同見取図自体に徴して明らかである。)にその起点を発していることが明らかであった。②しかも、右見取図によれば、右「衝突地点」の付近において、その直前までスリップ状態にあったことを示す原告車スリップ痕のうち後輪によって生じた旨の記載のあるスリップ痕が鋭く左へカーブしていた。しかして、右①と②の二点から判断するときは、同見取図に「衝突地点」として表示されている地点において本件衝突があったこと、したがって、本件衝突は道路中央よりも東方の栗田車進路内で起こったものと認められた。

(2) また、右見取図に「原告車スリップ痕」として記載されているそのスリップ痕の長さに徴すると、本件事故直前においいては原告車は相当の高速度で進行中であったものと推認できた。

(3) 右(1)及び(2)に説示したように、第一次実況見分調書の記載内容から推認できる本件事故発生の態様等は、右(一)の冒頭の(イ)及び(ウ)に記載した原告及び栗田の捜査官に対する各供述調書の供述記載内容とよく符合・一致していた。

しかして、第一次実況見分調書添付の現場見取図中の「栗田車タイヤ痕」に関する記載と「原告車スリップ痕」に関する記載がいずれも不正確なものであってその信ぴょう性はこれを否定せざるを得ないこと、同添付の写真5については捜査の過程でこれに改ざんが加えられていること、以上の諸点はすでに認定・説示したところであるが、渡辺検事にとっては、本来信ぴょう性を欠如するこのような第一次実況見分調書こそ、本件交通事故の発生について原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失のあった旨の判断をするについての唯一の客観的証拠であったものというべきである。そして、原告及び栗田の捜査官に対する前記各供述調書は、そのいずれもが第一次実況見分調書の記載内容に沿ってその内容を説明するにすぎないものであったから、ひとたび第一次実況見分調書の正確性と信ぴょう性が否定されれば、右各供述調書の信用性もまた自らこれを否定されざるを得ないものとなるべきことは多言を要しない。

そうとすると、もしも、渡辺検事において、本件公訴提起の段階で、第一次実況見分調書添付の現場見取図が不正確きわまりないものであって同添付写真5には改ざんすら加えられていたという前説示の事情を知っていたにもかかわらず、あえて第一次実況見分調書に依拠して本件公訴を提起し、又は検察官として通常尽くすべき注意義務を尽くしておれば、これらの事情を看破し得たにもかかわらず、漫然と第一次実況見分調書を信用し、これに依拠して本件公訴を提起したという状況が認められれば、同検事による本件公訴の提起は、同検事の故意又は過失に基づく違法な職務執行行為であるとの評価を免れ得ないこととなるであろう。

(二)  そこで、本件公訴提起に当たって、渡辺検事に右説示のような故意又は過失があったか否かの点を考察すると、本件の全証拠を精査してみても、まず、渡辺検事において、第一次実況見分調書が前認定のように違法に作成されたことの事情を知悉していたことを肯認するに足りるような証拠は、とうていこれを発見するを得ない。

つぎに、第一次実況見分調書が前認定のように違法に作成されたことの事情を看過して、同調書を信用し、これに依拠して本件公訴を提起した同検事の行為に過失があったか否かを検討する。《証拠省略》によれば、以下の事実が認められる。

(1) まず、第一次実況見分調書自体の記載内容等を観察すると、なるほど、①すでに認定・説示したように、同調書添付の現場見取図中の「栗田車タイヤ痕」の終点の位置及び同タイヤ痕の方向に関する記載部分と、停止した栗田車の右前輪の位置及び同車体の方向に関する記載部分との間には不整合な点が認められた。②また、いずれも同見取図中に記載されている「栗田車タイヤ痕」と「血痕」の相互の位置関係と、同添付写真5に写し出されている「栗田車タイヤ痕」と「血痕」の位置関係とを対比すると、両者の間にはそごがあった。このように、第一次実況見分調書自体を観察するだけでも、その記載の正確性について問題点を指摘することは必ずしも不可能ではなかった。しかしながら、③右見取図によれば、進路中央よりも東方の栗田車進路内に位置する「衝突地点」を起点として「栗田車タイヤ痕」が存在し、しかも、右「衝突地点」の手前一〇メートル余りにわたってスリップ状態にあったために生じた「原告車スリップ痕」のうちその後輪によって生じたものが進行方向左方に鋭くカーブしていた、というのである(このことは、すでに説示した。)から、少なくとも本件事故の態様を解明するのに最も重要な意味を有するものと解される「栗田車タイヤ痕」及び「原告車スリップ痕」と「衝突地点」との相互関係に関する限りにおいては、両者の間に整合性と合理性に欠けるところがなかった。④しかのみならず、右見取図中に記載されている「栗田車タイヤ痕」と第一次実況見分調書添付の写真5に写し出されている白色の線条(なお、右見取図及び同写真に、この白色の線条が「栗田車タイヤ痕」である旨の太和田巡査部長の説明が付されていたことは前説示のとおりである。)とは、一見する限りにおいては全く合致するものと認められ、もとより、この映像自体に改ざんの跡を窺わせるような不自然な点は毫も認められなかった。⑤ちなみに、右写真に写し出されている白色の線条が栗田車タイヤ痕を写したものではないこととか、右現場見取図の「原告車スリップ痕」に関する記載が不正確であることを推認させるような諸事実関係が明らかとなったのは、後記のごとく本件刑事事件の公判廷における審理、とりわけ、第四回公判期日から第六回公判期日において実施された倉田純二の証人尋問並びに昭和五五年九月四日に実施された検証の結果によるものである。

(2) 渡辺検事が本件公訴を提起した当時、同検事の手裡には本件刑事事件に関する証拠書類の一部として、前記の第一次実況見分に関与した早川警部補、太和田巡査部長及び河合・林両巡査の丹羽検察事務官に対する各供述調書が存在していたが、これらの供述記載内容は、いずれも、第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性を肯定する趣旨に帰着するものであった。そして、しかも、本件刑事事件の捜査段階初期における原告の捜査官に対する供述及び捜査のすべての段階における栗田の捜査官に対する供述は、いずれも第一次実況見分調書の記載内容に添うものであって、これらの供述をそれぞれ又は相互に比較対照してみてもその間に喰い違いや不合理な点はなかった。

(3) これに対して、第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性を否定する趣旨の原告の供述は、本件事故発生後数か月を経た後である昭和五四年三月一九日に至って、当初の供述を翻してなされたものであって、渡辺検事としては、このような時期になってから、原告が初めて従前の供述を翻したことについての合理的な理由を、全く見いだすことができなかった。しかも、原告の右供述変更後の弁明内容を明確にするために行われた第二次実況見分の結果を斟酌しながら原告の前示供述変更後の弁明内容をあれこれ検討してみても、いまだこれが十分に合理的で説得的なものであるとは認めがたいような諸状況があった。

以上(1)ないし(3)の各事実が認められ、この認定に反するような証拠はない。しかして、これらの事実に鑑みると、渡辺検事において、第一次実況見分調書添付の現場見取図の記載内容にはその重要な点において正確性と信ぴょう性に欠けるところがあって、ことに同添付写真5については後刻改ざんが加えられているということを看破することができなかったのは、已むを得なかったところというほかはない。そうとすれば、第一次実況見分調書の記載内容の信ぴょう性を確信し、しかも同調書を含む関係証拠に基づいて、本件交通事故の発生について原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失があった旨の心証を形成し、かつ、右公訴事実について公判請求をしてもこのことの立証は十分に可能であって、公判裁判所もまた該公訴事実について被告人に対して有罪判決を宣告するであろうと思料した同検事の判断が合理性を欠くものであるとはとうてい認められない。その他、本件のすべての証拠を精査してみても、同検事による本件公訴の提起行為を目してこれが同検事の過失に基づく違法な職務執行行為に該当するものと評価することのできるような徴表事実を認めるに足りる証跡はない。

2  公訴の維持・追行の適否について

(一)  そこで、さらにすすんで、本件公訴を維持・追行した渡辺検事の職務執行行為の適否について検討してみると、《証拠省略》によれば、本件刑事事件について渡辺検事から公判請求を受けた大垣簡易裁判所は、前後一四回にわたる公判審理を重ねたものであるところ、その審理の経過は概ね以下のようなものであったことが認められる。

(1) 渡辺検事は、第一回公判期日において、いわゆる冒頭手続にひきつづき、別紙「公訴事実」欄記載の公訴事実を立証するために若干の証拠の取調方を請求したのであるが、これらの証拠のうち、本件交通事故の発生について原告に右「公訴事実」欄記載のような過失があったことを立証趣旨とする主要なそれは、第一次実況見分調書並びに前記1の(一)の(イ)及び(ウ)に記載したような捜査官に対する原告と栗田の各供述調書であった。これに対し、本件刑事事件において原告の弁護人となった弁護士平野博史は、第一次実況見分調書と栗田の捜査官に対する前示各供述調書を証拠とすることには同意できないし、また、原告の捜査官に対する前示各供述調書については、その自白供述の任意性を争う旨の意見を述べた。

(2) そこで、公判裁判所は、その第二回公判期日において検察官(渡辺検事)の請求に基づいて第一次実況見分調書の作成者である前示太和田巡査部長に対する証人尋問を実施したところ、同巡査部長は右調書が真正に作成されたものである旨の証言をした。そして、公判裁判所は、その第三回公判期日において検察官(渡辺検事)の請求に基づき右実況見分調書を刑事訴訟法三二一条三項該当書面としてその証拠調べをした。公判裁判所は、右公判期日において検察官(渡辺検事)の請求に基づいて前示栗田に対する証人尋問を実施したが、その際、同人は、証人として、「原告車が道路中央よりも東方の栗田車進路内にはみ出し、しかもその後部を横に振りながら滑走してきたため、栗田車の前部と原告車の後部とが衝突した。」旨の捜査段階における供述内容と同趣旨の証言をした。

(3) 公判裁判所は、その第四回公判期日ないし第六回公判期日において弁護人の請求に基づいて倉田純二に対する証人尋問を実施した。その際、同人は、証人として、第一次実況見分調書添付の現場見取図と同添付の写真とを対比したり、右添付写真の被写体の形状・長さ等を分析するなどの手法を用いて、第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性につき、前記二の1の(二)及び(三)に認定・説示したような重大な疑義のあることを詳細かつ具体的に証言した。さらに、その際、倉田純二は、証人として、「捜査の初期の段階で、原告が捜査官に対して本件事故の発生について本件公訴事実と同旨の過失を犯した旨の自白をしたのは、早川警部補の友人である伊藤春明から、『警察官のすることに文句を言わずに従っておれば、警察官にたのんで本件事故をいわゆる物損事故として処理してもらってやる。』などと言われたためであって、原告の自白は虚偽のものである。」旨の証言をした。

(4) さらに、公判裁判所は、昭和五五年九月四日、弁護人の請求に基づいて、公判期日外の証拠調べとして、本件事故現場の検証を実施した。同検証においては、倉田純二がさきに第一次実況見分調書添付の写真を分析するに当たってその基準資料とした道路補修箇所の具体的な位置や道路西端に存在する側溝の蓋の長さ等が見分された。そして、この検証の結果、倉田純二の前記の証言内容が客観的事実とよく整合することがようやく確認された。ついで、右検証期日後に行われた第八回公判期日において、公判裁判所は、倉田純二の前記証言中において引用されている写真等の資料を、弁護人の請求に基づいて証拠として取り調べた。

(5) このようにして、第一次実況見分調書にはその正確性・信ぴょう性について相当の疑義のあることが次第に明らかとなっていったが、公判裁判所は、いずれも検察官(渡辺検事)の請求に基づいて、第八回公判期日から第一二回公判期日までの間に早川警部補・丹羽検察事務官・伊藤春明及び太和田巡査部長の合計四名を順次証人として取り調べた。しかして、右四名は、証人として、①第一次実況見分調書添付の現場見取図の「栗田車タイヤ痕」に関する記載は、第一次実況見分の際にした単なる目測の結果を表示したものであること、②他方、「原告車スリップ痕」は、メジャー等を用いてした正確な測定結果を記載したものであること、③本件捜査の全過程を通じて、捜査官や伊藤春明が原告に対して本件に関して自白することを強要したりそのための利益誘導をしたというがごとき事実は毫もないことなどを、それぞれの立場で証言した。

(6) ところで、公判裁判所は、その第一〇回公判期日においていわゆる被告人質問を実施したが、その際、原告は、被告人として、「本件衝突地点よりも南方に位置する橋梁上を北進していたところ、道路中央よりも西方の原告車進路内にはみ出しながら相当の高速で南進してくる栗田車を発見した。そこで、自分は、ブレーキをかけるとともに、右橋梁を越えた地点付近で左方にハンドルを切った。このために、自分は、原告車が十分に減速し、しかもその左前輪が道路の西端線に沿って存在する側溝の蓋の上に乗ったと思った。その瞬間、原告車の右後部に衝撃を感じ、原告車は、衝突箇所を中心にして右に回り込むように動いてから停止した。」旨、事故の状況を供述するとともに、「捜査段階では、自分の弁明を聞いてもらえぬまま、自白調書に署名・押印することを強要された。」旨、自己の捜査官に対する自白供述の任意性を否定するような供述をした。

以上(1)ないし(6)の各事実が認められ、この認定に反するような証拠はない。

(二)  そこで、右(一)において認定・説示したような事実関係のもとにおいて、渡辺検事による本件公訴の維持・追行活動がはたして違法な職務執行行為と評価できるか否かの点について考察してみよう。

(1) 本件刑事事件の公判審理においては、右(一)の(3)及び(4)に認定・説示したような経緯のもとに弁護人・被告人側から第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性に疑義のあることが具体的に指摘され、かつ、その点についての立証活動が行われたのであるが、それ以前の段階では、第一次実況見分調書が真正に作成されたものである旨の太和田巡査部長の証人としての供述と刑事訴訟法三二一条三項該当書面としての証拠調べの行われた右実況見分調書のほかに、同実況見分調書の記載内容に整合する趣旨に帰着する栗田の証人としての供述があったにとどまることは、すでに右(一)において認定・説示したとおりである。したがって、この段階までに公判裁判所において本件交通事故の発生につき原告に別紙「公訴事実」欄記載のような過失があったことを立証趣旨として取り調べられた関係証拠と、渡辺検事が本件公訴の提起までに収集していた関係証拠とは実質的・内容的に同一のものであったと評価することができる。そうとすれば、この段階において、それまでに収集した関係証拠に依拠して、本件交通事故の発生につき原告には別紙「公訴事実」欄記載のような過失があったことを立証することは十分に可能であって、公判裁判所もまた該公訴事実について被告に対して有罪判決を宣告するであろう、と思料した同検事の判断を目して、合理性に欠けるところがあると評価するのが相当でないことは、さきに同検事による本件公訴の提起行為の適否に関して判断したところと同様である。

(2) つぎに、すすんで、右(一)の(3)及び(4)で認定・説示したような経緯のもとに、本件刑事事件の公判審理において弁護人・被告人側から第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性に疑義のあることが具体的に指摘され、かつ、その点についての立証活動が行われたのにもかかわらず、渡辺検事がそれ以降も引き続き本件公訴を維持・追行したことの適否について検討すると、《証拠省略》によれば、同検事が右のような段階に至ってからもなお依然として本件公訴を維持・追行したのは、そのころ同検事が本件刑事事件について以下のような認定・判断をしていたことによるものであると認められる。すなわち、

(ア) 右(一)の(3)及び(4)に認定・説示したような弁護人・被告人側の防御活動の結果、第一次実況見分調書添付の現場見取図中の「栗田車タイヤ痕」に関する記載に一部不正確な点のあることは判明した。しかし、栗田車タイヤ痕の位置は同添付の写真5(同検事は、この写真が真正に作成されたものと判断した。)によって十分に確定することができ、その起点が道路中央よりも東方の栗田車進路内に位置することは明らかである。

(イ) 原告車スリップ痕が道路中央よりも東方の栗田車進路内を直線的に伸びてからそのうちの二本だけがそれまでの進行方向の左方に鋭くカーブしているという事実は微動だにしない。そうとすると、本件衝突の直前までスリップ状態にあった原告車がその後部に外力の作用(すなわち、衝突による衝撃)を受けたためにその後輪がそれまでの進行方向の左方に向きを転じたと推認することは、依然として合理的で説得力のあるものである。

(ウ) そして、右(ア)のようにその信ぴょう性の肯定できる第一次実況見分調書添付の写真5によれば、これに写し出されている白色の線条の起点と、原告車スリップ痕のうちの二本が進行方向左方に鋭くカーブしはじめる地点とはほぼ一致しているから、このような起点をもって本件衝突地点と認定するのが合理的である。

(エ) 本件刑事事件の公判審理において原告が被告人としてした供述内容を精査しても、同人がその捜査の初期段階においてした自白供述をその後翻すに至ったことについての合理的理由を発見することができず、かつ、被告人(本件原告)の公判裁判所における供述内容自体も関係証拠によって認められる原告車スリップ痕の形状と対比して、不自然・不合理である。

そこで、渡辺検事のした右のような判断の当否を考えてみると、なるほど、本件刑事事件の公判審理においては、前認定のような弁護人・被告人側の防御活動の結果、第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性に数々の疑問のあることが順次明らかにされたのではあるが、しかし、このような防御活動によって右調書の記載や添付写真のすべてについてその信ぴょう性が否定されたとまでは速断できないこともまた前説示のところによって明らかである。とくに同添付の写真5の信ぴょう性(さらには、その信ぴょう性を肯定する趣旨に帰着する早川警部補や太和田巡査部長の公判裁判所における証人としての各供述の信用性)についての最終的判断を公判裁判所に委ねた渡辺検事の措置は、一応相当であったということができ、もとよりこれを違法・不当と評価することはできない。また、第一次実況見分調書添付の現場見取図の「原告車スリップ痕」に関する記載の正確性に疑義のあることが明らかになったからといって、このことによってただちに、原告車スリップ痕のうちの二本がそれまでの進行方向よりも左方に方向を転じたことの原因を本件衝突に求めるという見解の根拠が否定されたとまでは解し得ない。そして、このような諸点に、すでに認定したような本件刑事事件の公判審理の経過をも総合して判断すると、渡辺検事が、本件刑事事件につきその第一審公判裁判所である大垣簡易裁判所から被告人に対して、無罪判決が言い渡されるまで、本件公訴の取消しをすることもなく該公訴を維持・追行したからといって、このような同検事の行為を目して、これがただちに同検事の過失に基づく違法な職務執行行為に当たるものであるなどとはとうてい評価することができず、この他に同検事の本件公訴の維持・追行行為をもって同検事の故意又は過失に基づく違法な職務執行行為に当たるものと評価するに足りるような徴表事実を認めさせる証拠はない。

3  以上のとおりであるから、渡辺検事が本件公訴の提起及びその維持・追行に当たって「故意又は過失により違法にその職務を執行した」旨の原告の主張については、ひっきょう、これを認めるに足りるような証拠がないことに帰着する。

四  損害及び因果関係

最後に請求原因4の点について検討する。

1(一)  被告県の公務員である早川警部補及び太和田巡査部長の両名がその職務の執行に当たり添付の現場見取図に虚偽の記載をしたり添付の写真に改ざんを加えるなどして第一次実況見分調書を違法に作出したものと認められることは、前記二において詳説したところであるが、(1)このように違法に作出された第一次実況見分調書が、渡辺検事をして、本件交通事故の発生につき原告には別紙「公訴事実」欄記載のような過失があった旨の判断をさせるのに決定的な意味をもつほど重要な証拠であったこと、そして、(2)本件刑事事件については、この第一次実況見分調書の正確性・信ぴょう性を主要な争点として二年近くの長きにわたって公判裁判所での審理が行われたこと、これらのこともまたすでに認定・説示したとおりである。そうとすれば、早川警部補及び太和田巡査部長の両名による前記のような違法な職務執行行為と、原告が別紙「公訴事実」欄記載の事実について公訴の提起を受けて、二か年近くにもわたって被告人としての地位に立たざるを得なかったこととの間には、相当因果関係があるものというのほかはない。右判断に反する趣旨の被告県の主張は、もとより独自の見解であって、とうてい失当として排斥を免れ得ない。

(二)  つぎに、《証拠省略》によれば、(1)原告が昭和五四年三月七日、岐阜県公安委員会から「右同日から同年七月四日に至るまでの一二〇日間、その運転免許を停止する。」旨の処分を受けたこと、(2)その処分理由は、「原告は、道交法施行令の別表第二にいう前歴一回を有するものであるのに、昭和五三年一一月二三日、徐行場所違反の行為をし、しかもその際、専ら自己の不注意によって人の軽傷にかかる交通事故を起こしたから、道交法一〇三条二項二号・同法施行令三八条一項二号のイに従って(同施行令の別表第一欄の第二区分・第五欄に該当する者として)、原告を上記(1)の処分に付する。」というにあること、(3)なお、岐阜県公安委員会は、原告に対して上記(1)の処分をするのにさきだち、昭和五四年一月二六日、前記海津警察署から第一次実況見分調書・原告の早川警部補に対する昭和五三年一一月二四日付供述調書及び太和田巡査部長に対する同年一二月八日付供述調書各一通・栗田の太和田巡査部長に対する同年一二月一〇日付供述調書などの送付を受けているものであって、同公安委員会はこれらの資料に依拠して本件事故の態様・結果等を認定・判断したものであること、以上の諸点を認めるのに十分であって、右認定を左右するに足りるような証拠はない。してみると、早川警部補及び太和田巡査部長の両警察官による前認定のような違法な職務執行行為の所産である第一次実況見分調書は、岐阜県公安委員会が原告に対して前認定のような運転免許停止処分をするについてもきわめて重要な資料として使用されたものと推認すべきであって、ひっきょう、早川警部補と太和田巡査部長の両警察官による前認定のような違法な職務執行行為と原告が岐阜県公安委員会から前認定のような運転免許停止処分を受けたこととの間にもまた相当因果関係があるものと認めるのほかはない。

2  以上に認定したところによれば、被告県は、いずれもその公権力の行使に当たる公務員である早川警部補及び太和田巡査部長の違法な職務執行行為の故に、原告が二年近くの長期間にわたって刑事被告人としての地位に立たされたばかりでなく前認定のような運転免許の停止処分をも受けるに至ったことによって味わされた精神的苦痛について、これを慰藉するに足りる相当の金員を原告に対して支払うべき国家賠償法上の義務を免れ得ないというべきである。

そこで、右慰藉料の額の点について考察してみよう。

早川警部補及び太和田巡査部長の違法行為の態様や内容、公判裁判所における本件刑事事件の審理の経過や期間、右運転免許停止処分の内容等については、すでに認定・説示したとおりであるが、さらに、このほか、《証拠省略》によると、原告は、昭和五六年三月に名城大学を卒業したものであるところ、公判裁判所(大垣簡易裁判所)における本件刑事事件の審理期間が右卒業時期の前後にまたがったため、右卒業を控えての就職運動に関して相当の悪影響を受けたばかりでなく、右卒業と同時にようやく就職することのできた企業を公判期日の都度欠勤することを余儀なくされるなどの不利益を被ったことが認められ、右認定を左右するに足りるような証拠はない。そして、以上のような諸事情に徴すると、早川警部補及び太和田巡査部長の両警察官による違法な職務執行行為の故に原告の味わわざるを得なかった精神的苦痛が決して軽視できないものであることは明らかである。

しかしながら、他方、原告自身もまた、(1)第一次実況見分の際には、本件衝突地点が道路中央よりも東方の栗田車進路内にあるとする太和田巡査部長らの見解に対してなんらの異を唱えることもなくこれを認め、しかも、(2)早川警部補及び丹羽検察事務官の両捜査官からそれぞれ取調べを受けた際には、本件交通事故の発生について自己に別紙「公訴事実」欄記載のような過失のあったことをその都度自白していたものであって、これらのことはすでに認定・説示したとおりである。このような事実に加えて、《証拠省略》を総合すると、原告が捜査官らに対して右(2)のような自白供述をした動機は、そうすることによって早川警部補らが本件事故をいわゆる物損事故として処理してくれることを期待したためであることが認められ、右認定を覆すに足りるような証跡はない。そして、上記のような捜査官に対する原告自身の態度が、検察官によって本件公訴が提起されたり、岐阜県公安委員会によって前記のような運転免許の停止処分がされたりした際に、そのためのきわめて重要かつ積極的な判断資料となったことは、上来説示の諸状況に徴して、きわめて明らかであるから、ひっきょう、原告が前認定のような精神的損害を被るに至ったことについては、原告自身の側にもまた相当に責められるべき点があったものというのほかはない。

以上のような、本件に現れた諸般の事情を総合考量すると、被告県が原告に対して支払うべき慰藉料の額は、金七〇万円と認めるのが相当である。

3  つぎに、原告は、本訴において、右慰藉料請求に併せて、原告が本件刑事事件に関してその弁護人平野博史に支払った弁護料(謝金を含む。)もまた前認定のごとき被告県の公務員の違法な職務執行行為の故に原告の被った損害である、として、被告県に対してその賠償方を請求しているので、この点について検討する。

《証拠省略》によれば、(ア)原告が本件刑事事件の弁護を弁護士平野博史に依頼したこと、そして(イ)原告が、右平野弁護士に対して、右弁護を依頼した際には弁護料として金二〇万円を、また、無罪判決の言渡しを受けた際には謝金として金三〇万円をそれぞれ支払ったこと、以上の事実が明らかである。ところで、すでに認定したような本件刑事事件の内容、性質をはじめ、その審理の経過と結果、さらには同弁護士の弁護活動の内容などを総合勘案すると、原告が本件刑事事件の弁護料及び謝金として平野弁護士に支払った右の合計金五〇万円の金額は、これを相当な弁護料等の報酬額として是認することができるから、原告の負担・出損した右金五〇万円もまた、早川警部補及び太和田巡査部長の両警察官による違法な職務執行行為と相当因果関係のある原告の損害に該当するるものと認めるのが相当である。しかしながら、原告が本件刑事事件に関して公訴の提起を受けるに至ったことについては原告の側にも相当程度に責められるべき点のあったことは前説示のとおりであるから、このような事情をもあれこれ斟酌すると、原告の被った右金五〇万円の損害額のうち、被告県が原告に対して賠償すべき金額は金二〇万円である、と認めるのが相当である。

五  上来説示のとおりであるから、原告の本訴請求は、そのうち、被告県に対して、前説示にかかる慰藉料金七〇万円に刑事弁護料(謝金を含む。)中の金二〇万円を合計した金九〇万円及びこれに対する本件訴状副本が被告県に送達された日の翌日であることの記録上明らかな昭和五七年一月二三日から右支払いずみに至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度では、その理由があるものとして、これを認容すべきであるが、原告のその余の請求(被告県に対する右認容額を超える請求部分及び被告国に対する請求の全部)は、いずれもその理由がなく、これを失当として棄却すべきである。

よって、訴訟費用の負担について民訴法八九条・九二条本文を適用し、なお、原告のした仮執行宣言の申立てについては、これを許容する必要がないものと認められるので、これを却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 服部正明 裁判官 高橋勝男 綿引万里子)

〈以下省略〉

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